<選手の軌跡~石川 清太~>

第6号  「沖縄へ深紅の優勝旗を!」

 

石川 清太 (いしかわ しょうた) 投手

埼玉県出身   興南高校 - 関東学院大学

 

 

石川選手は幼い頃父親とキャッチボールやバッティングのまねごとをして、気が付いたら野球を始めていたという。

小学校3年生の時に地元のチームに所属して本格的に野球の道に進むことになる。友人の父親がコーチをしており、誘われて入部する事になった。初めての試合でいきなりマウンドに立ち、三者連続三振を奪う。石川少年は以降ピッチャーを任された。幼い頃の父親との練習の日々で既に野球選手・ピッチャーとしての素養が備わっていたのだ。

 

中学生時代、石川選手は地元チームで野球をしながら学校の部活でバドミントン部に所属した。対戦相手が打ってくるシャトルのスピードは、硬式ボールのそれには比較にならない程速かった。速さに反応し、打ち返す為の動体視力が養われ、本業の野球のバッティング上達にとても役に立ったという。

中学生時代の石川選手

 

石川選手の野球人生の転機となったのは、地元埼玉を離れ、父親の郷里、祖父母の住む沖縄に単身で移り、興南高校に進学したことであろう。

1年生からベンチ入りし、2番手ながらもピッチャーを任された。忘れられない試合は、2007年の夏の甲子園沖縄大会決勝での対浦添商業戦。13回まで進んだ決勝戦は荒天の為再試合となった。再試合の先発は石川投手に託され、「負けるわけにはいかない。ここで負けたら先輩3年生の夏が終わる。」石川投手は、7イニングを無失点で投げ抜き、2-0で勝利、24年振りの甲子園出場を果たした。1年生ながらプレッシャーを振り切り、相手打線を抑えたのである。2009年、3年生春の選抜にも出場、自身の代で甲子園優勝こそ逃したものの強豪として名をはせた。翌年2010年に、1年後輩の島袋(現ソフトバンク)を擁した興南高校は夏の甲子園で初優勝、深紅の大優勝旗が初めて沖縄に渡った。

甲子園での石川選手

 

その後関東学院大を経て入部した現硬式野球部では、当初故障に悩まされながらもそれを克服してきた。制球で苦しんだ今シーズンを反省し、徹底的に走り込んで下半身を安定させ、投げ込んでいる。石川投手の2016年シーズンの活躍を期待したい。

 

(記:後援会)

 

 

 

 

 

 

 

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