<選手の軌跡~渡部 和博~>

第14号  「勝ち負けに関係なく甲子園を楽しめる - 甲子園での降雨ノーゲーム」

 

渡部 和博 (わたなべ かずひろ) 内野手

岡山県出身  倉敷工業高校 - 明治大学

 

 

渡部選手は白壁の町並みやマスカットの産地として有名な岡山県倉敷市の出身。

野球を始める前は、小学校で陸上競技の選手だった。倉敷市に陸上競技チームがあり、渡部少年はそこで100m走、リレー選手としてその俊足ぶりで活躍していた。

小さい頃から、両親が共働きで幼稚園等の送り迎えなどなく、登下校ではひたすら歩くことが多かったそうで、そうした日々の積み重ねも健脚の基礎を築いたのかもしれない。

 

野球との出会いは中学生になってから。地元の硬式野球のクラブチームの練習に見学に行った時に、同じ中学生がレベルの高いプレーをしていることに刺激を受け、中学生から入団。それまで野球をやっていたことなどなく小学生からの経験者の多い中で一からルールを覚えて行き、人の後を追っていく日々であった。そうした姿を見て父親から叱咤された。「人の後を追うのではなく、常に前にいてプレーしろ。」その一言で野球に対する姿勢が変わった。

セカンドを守り2番バッターとして活躍した。

 

高校への進学は、同じ硬式クラブチームでキャプテンをやっていた2年先輩に憧れて本人曰く「追っかけるように」岡山の古豪倉敷工業高校を選んだ。

渡部選手の野球人生の中で忘れられない試合は、2003年第85回夏の甲子園初戦での駒大苫小牧との対戦。4回裏までで8点を先取され厳しい展開であったが、折しも台風が通過する予報の中で行われた試合で、試合中に豪雨となり、降雨ノーゲームが決まった。渡部選手は、「勝ち負けに関係なくもう一回甲子園で試合ができるのは嬉しい。」との気持ちであった。翌日の再試合では逆に倉敷工業が5-2で勝利し次の対戦へコマを進めた。倉敷工業での厳しい練習を耐え抜いたことが報われたのである。

夏の甲子園でホームインする渡部選手

倉敷工業高校卒業後、渡部選手は明治大学に進学した。彼の記憶に残るのは大学4年時の2007年東京6大学春季リーグ戦。対戦相手は1年生の斎藤祐樹(現日ハム)擁する早稲田大学。共に6連勝であり勝てば優勝のかかった試合。2試合とも早稲田大学に敗れ惜しくも優勝を逃した。

大学時代の渡部選手

渡部選手が日頃から心がけていることは「常に早めの行動。ゆとりを持って事に臨めば周囲に迷惑もかからない。」今の硬式野球部での課題は勝負を決める一打を放つ事。

ここぞという時の勝負強さを発揮すべく日々練習に打ち込む渡部選手の活躍に期待したい。

(記:後援会)

 

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