<選手の軌跡 ~佐藤僚亮~>

第8号 「勝てる投手になりたい」

佐藤僚亮(さとうりょうすけ)投手

山形県出身  山形中央高校

 

 

山形県は「紅花」で有名な河北町出身の佐藤僚亮選手。山に囲まれた自然豊かな地で生まれ育った。小さい頃から元気よく活発でいつも外で遊ぶ少年であった。

野球が大好きな父親の影響で小学生の頃から野球を始めた。最初はただがむしゃらにやっていたが「絶対に他の人には負けないぞ」と、大声を出しいつも全力でプレーをしていた少年時代であった。

佐藤(僚)(小学生)

少年時代の佐藤選手

中学校は地元の学校に進み部活動として野球に取り組んだ。3年生の夏、地区大会を勝ち抜き山形県大会に進んだが、1回戦で敗退した。

高校進学は地元山形の公立高校であり、部活動にも力を入れている山形中央高校に進学した。

1年生の時からベンチに入った。一番の思い出は2年生の夏、山形県大会を勝ち抜き甲子園に出場。1学年上の石川直也(現日本ハム)と二人で投げ抜き、佐藤投手は19イニングを投げ、1失点、27奪三振の力投を見せ、山形中央高校を甲子園出場に導いた。

甲子園では1回戦を勝ち、2回戦対東海大四高(北海道)戦に先発し、見事甲子園で勝利投手になった。チームは3回戦で敗退し、自らもリリーフで打たれたが、甲子園での3試合は自分にとって良い経験になった。

佐藤(僚)(高校)

甲子園で力投する佐藤投手

鹿島野球部での自分の今の課題はしっかりと基礎を作り上げること。

練習、努力を重ねチームのエースとして「勝てる投手」になって、都市対抗のマウンドに立ちたい。そう話す佐藤投手の顔に闘志が漲っていた。今後の佐藤投手に期待したい。

(記:後援会)

<選手の軌跡 ~坂口 凌~>

第7号 「投手陣を引っ張れる捕手になる」

坂口 凌(さかぐちりょう)捕手

群馬県出身  桐生市立商高 → 関東学院大学

 

群馬県桐生市出身の坂口選手。小学校1年生から野球を始めた。祖母がソフトボールの国体選手で、父親もソフトボールの経験者と自然と野球に興味をもった。

憧れの松坂大輔投手みたいになりたいと、この頃は投手として一生懸命練習した。

桐生市内は少年野球が盛んであり強豪チームも多くいたが、エースでキャプテンとして地区大会を勝ち、西武ドームで行われた全国大会に出場した。

坂口(小学生)

小学校時代の坂口選手

地元の中学校に進み、桐生ボーイズに所属した。この頃から内野手の練習も始め、投手兼内野手として練習に明け暮れた。中学1年生の時チームは全国大会に出場したが本人の出場機会はなく、今度は自分で力で出場すると練習に励んだが、全国大会への出場は出来なかった。

桐生市立商高に進学し甲子園を目指した。この頃は投手よりも内野手としての出場が多く、3年生の夏は5番3塁手として出場した。群馬県大会ではベスト4まで勝ち進んだが甲子園出場を果たせなかった。

高校3年生になる時に東日本大震災があり、復興支援の一環として岩手県の高田高校と試合した事が思い出として残っている。

大学は神奈川六大学リーグに所属する関東学院大学に進学。内野手として頑張っていたが、2年生の秋に転機が訪れた。強肩を買われ捕手にコンバートされ捕手の道を歩むことになる。捕手にコンバートされまもない頃のリーグ戦で石川清太投手(現鹿島野球部)とバッテリーを組んだ。その試合で石川投手の投球を捕れずに相手に点を与えたことが今も悔しく、より一層練習に励んだ。

坂口(大学)

大学時代の坂口選手

鹿島硬式野球部では、捕手のレギュラー目指し頑張っている。

「まだまだ課題は多いが、守備力を高め、レギュラーとして投手陣を引っ張れる捕手になりたい」と話す顔に活気が漲っていた。

(記:後援会)

 

<選手の軌跡 ~山内 武~>

第6号 「悔しさを糧に」

山内 武(やまうちたける)投手

神奈川県出身  学法福島高校 - 函館大学

 

神奈川県出身の山内選手。小学校1年生の時先輩に誘われ野球を始めたが、最初は訳も分からずやっていた。

地元の少年野球チームに所属し、3年生からレギュラーとして試合に出場。6年生から投手を始めキャプテンとしてチームをまとめた。

外で遊ぶのが大好きで、野球の練習のない時はほとんど外で遊ぶ活発な少年であった。

 

地元の中学校に進み、横浜金沢シニアに所属し3年生の時全国シニア大会に出場した。

また、野球以外でも厳しく、礼儀や人との関わり方を学んだ。

 

高校は福島県にある学法福島高校に進学。甲子園への出場を目指した。高校時代の思い出は、2年生の秋、翌年の選抜高校野球大会出場をかけた東北大会に出場した。

初戦で花巻東高を破り、2回戦で青森の強豪光星学院と対戦したが、大差で敗れ甲子園出場が叶わなかったことと、3年生夏は肩の故障で投げれず、チームも県ベスト8で終わり悔しさが残ったことである。

 

大学は北海道の函館大学に進み、北海道六大学リーグで戦った。4年間で一度も全国大会に出場できず悔しさが残っている。

 

鹿島野球部では、自分の持ち味であるコントロールの良さを活かし、どんな場面でも投球でき、チームから信頼され、尊敬される投手になりたい。

こんな活気のあるチームで野球ができることで、今は野球が楽しい。

山内投手の東京ドームでの活躍に期待したい。

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現在の山内投手

(記:後援会)

 

<選手の軌跡 ~大貫晋一~>

第5号 「イチローに憧れて」

大貫晋一(おおぬきしんいち)投手

神奈川県出身  桐陽高校 - 日本体育大学

 

横浜市出身の大貫選手。小学校3年生の頃、友達と公園などでよくキャッチボールをして遊んでいたのがきっかけで野球を始めた。

小学校時代は外で遊ぶことが好きで、野球に限らず色々なスポーツをしていた。地元の少年野球チームに所属し、イチロー選手に憧れイチローみたいになりたいと、日々練習していた。

 

中学校は地元の中学校に進み、横浜青葉シニアに所属していた。チームは全国大会に出場するほど強豪であったが、メンバーに入ることが出来ないこともあり、悔しい思いをしていた。

 

高校は静岡県沼津市にある桐陽高校に進学した。県内の選手が多く最初は言葉などでとまどうこともあったが、仲良く楽しくプレーした。甲子園には出場できなかったが、3年間仲間と頑張り、3年生夏にはエースとして県ベスト8へ進出したことが思い出である。

 

大学は日本体育大学に進み、200名を超える部員がいる中厳しい競争があった。

大学時代の思い出は、2年生の秋のリーグ戦で東海大学を被安打3、1失点で完投し、チームもリーグ制覇。自分もベストナインに選ばれたことと、4年生秋に明治神宮野球大会の予選で憧れの横浜スタジアムのマウンドに立てたことである。

大貫(大学)

大学時代の大貫投手

鹿島野球部では投手陣の一員としてチームから信頼され、大事なところをまかせてもらえるような投手になりたい。

東京ドームでは自分のスタイルである、テンポよく、打たせて取る投球でチームの勝利に貢献したいと、力強く話してくれた。

(記:後援会)

<選手の軌跡 ~西村竜治~>

第4号 「存在自体がムードメーカー」

西村竜治(にしむらりゅうじ)内野手

大阪府出身  智辯学園高 - 明治大学

 

場所は2011年夏の甲子園。大会10日目の第4試合。強豪横浜高校相手に9回同点タイムリーを放ち、1塁ベース上で何度もガッツポーズする選手がいた。それが当時智辯学園高でプレーしていた西村選手である。まさにガッツで打ったヒットであった。そんな元気印の新人、西村選手に話を聞いてみた。

 

出身はだんじり祭で有名な大阪。父親の影響で始めた野球は、大阪らしいだんじりと浜風を浴びながらのものだった。

現在は内野手の西村選手も、中学・高校は投手であり憧れの選手は松坂大輔投手・松井秀樹選手だったそうである。とても練習が厳しい中高時代で、智辯学園時代は夜10時頃まで練習をしていたそうで、その甲斐あって3年夏の甲子園ではベスト8まで進んだ。

控えにまわっていた西村選手は自分の存在意義を探し、常に大きな声やチームメートを盛り上げる役に徹していた。当然試合に出られない苛立ちはあっただろう。そんな悔しさやチームを何とかしようという気持ちが、甲子園でのこのヒットにつながった。

 

その後名門明治大学へ進学。大学でも元気をモットーに頑張った西村選手だが、悔しい事が1つあったそうである。現在はチームメートである同期の佐藤竜一郎選手がいた法政大学にあと1勝のところで負けて優勝を逃した事だそうだ。

 

現在、都市対抗本大会に向け更に元気いっぱいの西村選手であるが、鹿島野球部に入部して感じたことや思ったことを聞いてみた。

「野球に対してとても真剣で、熱く、職場の思いを背負っている。これが社会人野球なんだ」との事だった。勝負どころでの1発を打てる打者になりたいと語る西村選手は、初めての予選大会や本大会を経験し、更に「存在自体がムードメーカー」になる事だろう。

ブルーウィングスからは今日も元気な西村選手の声が響く。

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現在の西村選手

(記:後援会)

<選手の軌跡 ~林 悠平~>

第2号 「小さい頃から野球一筋で」

林 悠平(はやし ゆうへい)内野手

群馬県出身  桐生第一高校 - 東洋大学

 

群馬県利根郡みなかみ町出身の林選手。小学校1年生の頃から父親と兄の真似をして野球を始めた。父親が少年野球の監督、兄もまた野球少年で自然と野球を始めていた。

父親が監督をしている野球チームに所属し、山に囲まれた緑の多いグランドで野球ばかりしていた少年時代であった。

林(小学生)1

小学校時代の林選手

地元みなかみ町の中学校に進み、クラブ活動として軟式野球部に所属し、県大会出場目指し仲間と必死で頑張った。

高校は甲子園常連校である桐生第一高校に進学した。桐生第一高校へ行けば絶対に甲子園に行けると思った。

練習はとても厳しいものであった。甲子園目指して猛練習に耐え頑張ったが、自分の代で3年間一度も甲子園に行くことが叶わず、悔しい3年間であった。

大学は東都六大学の名門東洋大学に進学。1年生の秋に東都リーグⅡ部に転落し、その後ずっとⅡ部リーグでの戦いとなった。その間何回かⅠ部昇格のチャンスはあったが、昇格できなかった。4年生の秋に最後のチャンスが訪れた。

Ⅱ部リーグで優勝し、Ⅰ部入替え戦に進出した。相手はこの年のⅠ部最下位の駒沢大学。ただエースは横浜ベイスターズドラフト1位の今永投手。1試合目は相手エースに3安打で完封されたが、2試合目は打ち勝ち1勝1敗となり3試合目に持ちこんだ。最終戦はまたも相手エース今永との対戦となったが、今度は打ち崩しⅠ部昇格を果たした。

自分の最後のリーグ戦でⅠ部昇格を果たし、卒業できることは本当に嬉しく思った。

鹿島野球部では、泥臭く粘り強い頑張る野球の素晴らしさを学んでいる。その一員として頑張って行きたいと思っている。

東京ドームでの活躍に期待したい。

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現在の林選手のバッティング

(記:後援会)

<選手の軌跡  ~玉置 隆~>

これまで掲載してきました<選手の軌跡>を今回号から今年入部した新人を紹介していきます。新入部員は初めての都市対抗野球大会です。本大会に向けての意気込み等を聞いていますので、是非お楽しみにして下さい。

新人特集1回目は予選で大活躍の「玉置 隆投手」です。

 

第1号 「腕がちぎれても ~魂の108球」

玉置 隆(たまき ゆたか)投手

和歌山県出身 私立和歌山商業高校 - 阪神タイガース

 

あと1アウト。最後の打者が打った球がレフトのグローブに収まった瞬間、いつもクールな玉置投手の顔がくしゃくしゃに緩んだ。北関東大会2戦目、富士重工業を相手に2安打無四球、2塁も踏ませない完璧なピッチング。まさに魂の108球だった。

そんな壮絶な予選大会を終え、代表権を掴んだ玉置投手の野球のツールに迫ってみた。

 

昨年まで阪神タイガースでプレーしていた玉置投手。今年から鹿島野球部のユニフォームに袖を通し熱い投球を見せているが、野球を始めたきっかけは意外なものだった。

さぞかし野球小僧で物心ついた時から、野球をやっていると思いきや小学1年の時に親が勝手に少年野球チームに入部届けを出していたようで、当時は嫌々野球をやっていたそうである。しかし、和歌山の自然に囲まれて育ったヤンチャな少年が、成長するに従って人より少し早い球が投げられる事に気づき、野球が少しずつ好きになっていったのもこの時期である。

そして、野球が大好きになったという中学時代を終え、私立和歌山商業高校に進学した玉置投手は3年生の夏、憧れの甲子園に出場する。2回戦で敗退はするものの、プロのスカウトの目にとまり阪神タイガースに入団する事になるのである。

 

自身のプレースタイルを「ガンガン攻める投球」、性格を「強気!プラス思考!」というように憧れの選手も「松阪大輔投手」であり、なるほど納得の玉置投手であるが、鹿島野球部に入部して感じた事などを聞いてみると、「泥臭く何処よりも熱い野球をするチーム」と返ってきた。日頃の練習や選手間の熱い思いなどを聞いて、更に自身のプレースタイルにも重なり、まさに今、熱い鹿島野球を実感しているのであろう。

 

予選を経験し、「会社や社員の熱い思いとプライドをかけた戦い」だと感じた玉置投手は、本大会での抱負を「優勝、それしかない!と」キッパリ言い放った。

「勝利を導く投手になりたい」と語った玉置投手の目は、自分のあるべき姿と明確な目標を見据えているようでもあった。

コバルトブルーの熱い魂を持つ玉置投手が、またきっと私たちに素晴らしい投球を見せてくれることであろう。

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北関東大会での玉置投手

(記:後援会)

 

<選手の軌跡 ~佐藤竜一郎~>

第3号 「信頼される選手になるらめに」

佐藤竜一郎(さとうりゅういちろう)内野手

栃木県出身  作新学院高校 - 法政大学

 

「もういっちょうお願いします」大きな声が響き渡る。真黒に汚れたユニホーム、額から汗が溢れ、ひた向きにボールを追う守備練習中の佐藤選手の声であった。

 

栃木県宇都宮市出身の佐藤選手。元甲子園球児の父親の影響で野球を始めたのが小学校1年生の時。以降毎晩父親と一緒に自宅前で素振りするのが日課になり、父親から手取り足とり指導を受けた。

作新中学校に進み、宇都宮シニアに所属し、2年時には全国大会でベスト4に進出した。

 

高校は地元の名門作新学院高校に進学。1年生の秋からベンチ入りを果たした。

3年生の夏、3番ショートとして学校として2年振りの甲子園出場を果たした。甲子園では4試合19打数6安打1本塁打6打点の大活躍で学校として49年振りにベスト4進出に貢献した。

 

大学は東京六大学の雄、法政大学に進み、2年生春のリーグ戦から出場した。明治大3回戦に代打で出場し、リーグ戦初安打、初打点を記録した。

3年生になってレギュラーを掴み、春のリーグ戦では打率3割5分1厘をマークしベストナインを受賞した。

 

鹿島硬式野球部では春先故障で少し出遅れたが、持ち前の頑張りで都市対抗予選では全試合先発としてショートを守り、3年振りの都市対抗本大会出場に貢献した。

しかし、まだまだミスがある。もっと練習を重ね「周りから信頼される選手になる」ときっぱり。

都市対抗本大会での活躍が楽しみである。

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現在の佐藤選手のバッティング

(記:後援会)

<選手の軌跡 ~中村 大翼~>

第23号  「兄の背中を追って始めた野球」

 

中村 大翼(なかむら だいすけ)  内野手

佐賀県出身  佐賀東高校 - 日本文理大学

 

 

中村選手は「兄の背中を追いかけて」野球を始めた。小学校2年生の時だ。一つ上の兄が小学校の野球団で溌剌とプレーをしている様を見て、兄に対する憧れとでも言おうか、兄に負けまいとする子供心からか、同じ小学校の野球団に入りプレーを始めた。年が一歳違いだとなおさらライバル心も生まれる。「兄貴に負けないように頑張るぞ。」小学校時代の中村少年の姿である。

 

中村選手と兄は小学校、中学校、高校と同じチームでプレーをした。どんなに厳しい練習であっても兄の頑張る姿を見て「負けない!」と自らを奮いたたせた。

高校は、兄も進学していた佐賀県で唯一スポーツクラスが設置されている佐賀東高校に進学、投手と内野手の両方で活躍した。

3年生の夏の甲子園佐賀県大会。バッター田中(現日ハム)のいる強豪佐賀商が相手。投手中村はノーアウトランナー2塁で自分が投じた球が相手バッターに打たれてしまい、7-1のコールド負けを喫した。自分の投球で3年の夏が終わった。打たれた後しばらくは「何も考えられなかった。」

 

大学は部員数が日本一多いことで有名な日本文理大学に進学。俊足ぶりは評価され1年生から内野手でベンチ入りし、大学3年時には50mで6秒を切る足の速さにまでなっていた。

思い出の試合は大学3年時九州地区大学野球連盟秋季大会。名桜大戦。延長11回まで

6-6でもつれ込んだ試合は11回裏日本文理大からサヨナラ打が出て7-6で勝利した。サヨナラ勝ちというものは、いつまでも本人の記憶に残るものだ。

 

鹿島硬式野球部では「切り込み隊長」として常にチームに良い流れを呼ぶことを心がけている。2016年の中村選手の活躍に期待したい。

 

IMG_2480 現在の中村選手

(記:後援会)

<選手の軌跡 ~藤田 荘馬~>

第22号  「強い気持ちで押して行く野球をする」

 

藤田 荘馬 (ふじた そうま)  投手

香川県出身  丸亀城西高校 - 日本体育大学

 

 

香川県綾川町出身の藤田選手、野球は幼い頃から大好きで、早く少年野球団に入りたかったのだが、小学校1年生の時に病気を患い1年近く野球が出来なかった。幸いにも病気は完治し小学校3年生で地元の少年野球団に入団することが出来た。野球をやりたくても出来なかった頃の思いをぶつけるように、野球が出来る嬉しさで弾けるように野球に打ち込んだ。ポジションは最初からピッチャー、小学校の間は4番でキャプテンを任されるまで活躍した。

藤田(小学校時代)

小学校時代の藤田選手

 

中学生の時は地元の硬式野球のクラブチームに所属しピッチャーとして練習に勤しんだ。一方で学校の部活動では陸上部に所属し、1500m走の選手として各競技会に出場。

スタミナ、強い足腰を作るのに大いに役立った。所属する硬式クラブチームではもちろんピチャー。自分でも納得のいかない程制球に苦しみ悩む時期もあったのだが、それでも自分に対して強気の気持ちを投げかけ、一生懸命、直球勝負でキャッチャーミットへ投げ込んだ。中学校時代の藤田選手は「強い気持ちを持って野球をする」ことの大切さを学んだという。

 

丸亀城西高校へ進学した藤田選手は1年生の秋からエースを託された。履正社高校(大阪府)との練習試合で当時相手チームには強打者山田哲人(現東京ヤクルトスワローズ)がいたが、1-1で互角の勝負に抑えたこともある。

藤田(高校時代)

高校時代の藤田選手(右側)

 

その後進学した日本体育大学での思い出の試合が大学3年時、2013年の全日本大学野球選手権大会。ベスト8まで進出し対戦相手は強豪東北福祉大学、勝てばベスト4進出がかかる大事な試合で藤田選手は大学に入って公式戦初先発を任された。本人の言葉を借りれば「プレッシャーは半端なものでなかった。試合前日に先発をを告げられてマウンドに立つまでのことはあまり覚えていない。」とのこと。しかし藤田選手は持ち前の強気な気持ちで登板、6イニングを1失点に抑え試合は6-1で勝利した。

 

鹿島硬式野球部に入部した今でも、気持ちの強さが持ち前だと言う。2016年度シーズンの藤田選手の活躍に期待したい。

 

(記:後援会)