<選手の軌跡~鮫島 哲新~>

第5号  「甲子園での『鹿工旋風』を支えた捕手」

 

鮫島 哲新  (さめしま てっしん)  捕手

鹿児島県出身  鹿児島工高 - 中央大

 

 

桜島の見える鹿児島市で育った鮫島捕手。小学校の運動会の徒競争で常に1・2位を争うライバルがいた。そのライバルが野球を始めた。「あいつには負けたくない!」小学校2年鮫島少年が野球を始めたきっかけである。

 

野球の練習場所は自宅近所のグランドはもちろんのこと、レンゲが広がる畑でも文字通り草野球の日々。のびのびと野球に打ち込む牧歌的な風景が浮かんでくる。

小学校と中学校では、キャッチャーとピッチャー両方を担った。特に中学校では軟式野球部員が12人と少なく、一つのポジションだけではチームにも余裕がないので両方することになったこれが強肩捕手鮫島選手の基礎を作った。

中学校時代の鮫島選手

 

高校への進学には、特待生としての声もかかる程の選手になっていた鮫島選手。しかし彼には強い思いがあった。「特待生が集まる私立高校よりも自分は公立高校で野球に打ち込み、甲子園に出場する。彼らには負けたくない。」彼は県立鹿児島工業高校に進む道を選んだ。

野球部専用のグランドはなく、他のクラブと練習場所を分けあう程の狭さ。シート打撃では、レフトとセンター方向に他の部がいたので打ち込めず、ライト方向を狙うしかなかったそうだ。実はこの練習が、広角に球を放つことが出来るバッティングの礎を築いた。

 

2006年夏に鹿児島工高は、県内の並みいる強豪を抑え公立高校としては実に56年振りとなる甲子園出場を果たす。鮫島捕手は4番主将として鹿工を率い、初出場ながらも勢いに乗り、ベスト8、ベスト4と勝ち進み、「鹿工旋風」とまで言わしめた。

主将鮫島は、準々決勝、福知山成美戦(京都)で延長10回表にバックスクリーンへ大会56号のソロホームランを放ち勝利。準決勝へ進んだ。対戦相手は、斎藤祐樹(現日本ハム)率いる早稲田実業。準決勝で敗れたものの、満員観客の甲子園球場でのプレーをした充実感、達成感で一杯であった。

 

福知山成美戦でホームランを放つ

 

硬式野球部で現在も捕手を務める鮫島選手。一発勝負の社会人野球で「勝てるキャッチャー」として、確実に信頼を積み重ねて行きたいと言う。鮫島選手の活躍に期待したい。

 

(記:後援会)

 

 

 

 

 

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コメント

    • 中村学
    • 2016.10.10 9:59am

    私は鹿児島工業が甲子園大会入場行進後に右中間スタンドでチームの皆さんが試合観戦した時に鮫島選手に記念ボウルにサインを貰った60代(現在)のおじさんです。鮫島選手が新日鉄住金の野球部。おじさんは船乗りで新日鉄住金の荷物を運んでいる仕事していて、おじさんの息子も新日鉄住金の会社で工員として働いています。それぞれが、その後に新日鉄住金の関係する事についているとはサイドボードのサインボールを眺めながら、思い出に伏せています。
    いつかは、プロの世界で活躍してほしいですが、陰ながら応援しています。

    • 中村学
    • 2016.10.10 10:01am

    プロを目指して頑張って下さい。

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