<選手の軌跡~木村 圭太~>

第10号  「温暖な瀬戸内で育った野球少年」

 

木村 圭太 (きむら けいた) 内野手

広島県出身  山陽学園高校 - 立正大学

 

木村選手は温暖な気候で知られる瀬戸内の広島県で育った。3人兄弟の末っ子で、6歳と4歳上の兄二人も野球をやっており、感化されて小学校1年生より野球を始めた。

のぼのびと野球に打ち込む日々。父親も野球に熱心で、試合の後の家路に着く車の中ではその日のプレーの反省会を行っていたそうだ。

 

中学校では土日に地元の硬式野球チームに所属、平日の部活動は陸上部に所属した。本人曰く、「足腰を鍛える為」と。200m走と、走り幅跳びが主な種目であった。

 

木村少年の野球人生の転機は、山陽学園高校に進んだことである。中学校時代に所属していたクラブチームは全日本中学野球選手権ジャイアンツカップで3位になり、本人も優秀選手賞を受賞。山陽学園高校の監督から熱心に誘われ入学した。

山陽学園高校は県内でも屈指の強豪で知られ、2009年の夏の甲子園広島大会ではベスト4に進出、準決勝の対戦相手は如水館高校、勝てば決勝戦進出がかかる試合に2-3でサヨナラ負けを喫し、無念にも甲子園出場の夢は潰えた。

 

その後進学した立正大学時代、本人が忘れられない苦い思い出がある。

大学3年生の時、東都大学リーグ東京農大戦。リーグ戦では順調に勝ち星を増やし、あと2勝すれば優勝のかかった試合。「その試合は1点差で進んでいました。自分はサードを守っており、1死1塁になった時、次の打者がサードゴロのゲッツーコースだったのですが、ボールを弾いてしまいランナー1、2塁。その次の打者にホームランを打たれてしまいその試合は負けました。」自分のエラーで試合の流れが変わってしまい、その時の悔しさは今も忘れない。

 

自分の進路に迷いながらも、教員免許取得を目指して勉強していたが、やはり野球一本で生きたいと考えを強くし、現鹿島硬式野球部に入った。自分が入部してからのドーム出場は無いので、なんとしても2016年は出場したい。

打率・出塁率アップを課題に日々練習に打ち込む木村選手の今後を強く期待したい。

 

木村選手のバッティング

(記:後援会)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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