<選手の軌跡~高畠 祐平~>

第11号  「諦めずに進んだ野球の道」

 

高畠 祐平 (たかばたけ ゆうへい) 外野手

高知県出身  未来高校 - 日本体育大学

 

 

四国高知出身の高畠選手は、徳島県との県境にほぼ位置する、漁師町高知県東洋町で生まれ育った。幼少時代は日の暮れるまで海で泳ぎ山を走るという、本当にのびのびと遊びまわっていた。野球は5歳上の兄がやっていた影響で、小学校1年生の頃には「いつのまにか」始めていたという。ポジションはショート。小学校、中学校のクラブでもずっとショートを任されていた。

 

その守備センスが目に止まったのだろう、隣県徳島の鳴門工業高校(現鳴門渦潮高校)の監督から声がかかり、鳴門工業高校に進学。入学前年の2005年夏の甲子園にベスト8迄進んだ強豪校で、1年生からベンチ入りしその将来が期待されていた。

 

しかしながら、高畠選手に思いもよらない衝撃が訪れる。自分の喉の奥のほうに腫瘍が見つかった。幸いにも手術で取れる大きさであり、周囲の支援もあって無事手術は成功したものの、この事で1年間野球生活から遠ざかることになった。高畠選手は鳴門工業を中退し、進路に迷った。そうした中で親戚が持って来てくれたのが専門学校関西メディカルスポーツ学院の資料。トレーナーとしての道を進むことを考え始めたところ、入学要件が緩和されて同校の野球選手科に入学出来る事が解った。「また野球をやれる」途中であきらめていた野球の道が再び開いたのである。

 

高校卒業の資格を得る為に、夜は通信制の未来高校のレポートを書き、昼は野球に打ち込む日々であった。関西メディカルスポーツ学院では1年間のブランクを克服しサードを担った。ここでの野球生活は1年半と短かったが、今でも高畠選手の人生の中での大きなウェイトを占める。

 

その後日本体育大学に進学、首都大学リーグでの忘れられない試合は9季連続で勝てなかった東海大学に勝った試合のこと。菅野(現巨人)や田中(現広島)を擁する東海大学にはどうしても勝てなかったのだが、その東海大学から勝ち点を奪う事ができた試合は今も忘れられないとのこと。

 

現在の高畠選手の課題は「チャンスで打てるバッターであること」。Wドーム出場を目標に練習に打ち込む高畠選手の2016年シーズンの活躍に期待したい。

豪快なバッティングの高畠選手

 

(記:後援会)

 

 

 

 

 

 

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コメント

    • 平野直子
    • 2016.02.21 7:31pm

    いっせいの母です。いろいろ大変だったんだね…でもやっぱり野球してる姿はカッコいいね。逸聖も高校野球してくれたら嬉しいなぁ
    バッティング カッコ良かったよ これからも頑張って下さい。

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