選手の軌跡

<選手の軌跡 ~安達 和貴~>

2018/07/17

第四号 「チームの中心へ~フルスイング~」

安達 和貴(あだち かずき)選手

岐阜県出身 岐阜県立山県高校 ― 岐阜聖徳学園大学

 

北関東大会3日目、負けたら大会敗退0対0 2アウト2塁チャンスがやってきた。「カーン」と気持ちいい打球音が響く、決勝点を取り2塁で喜びを見せる選手、今回のヒーロー安達選手である。そんな安達選手に話を聞いてきた。

 

エンタイトルツーベースを打つヒーロー安達選手

 

 

 

 

 

 

 

 

安達選手が野球を始めたきっかけは「友達に誘われて」始めたそうだ。小さなころから元気で明るい性格。そんな安達選手がいるチームもみんな仲良しでとても野球をしやすい環境であった。それだけでなく、小6の時には全国大会出場と強いチームでのプレイが今の安達選手の下地を作った。

 

現在では、外野を守る安達選手だが中学ではファースト、後攻では投手をしていたそうだ。

高校生ながら186cm86kgの体躯から真上から投げ下ろす外国人投手のようなフォームで迫力十分の守備、打っては今と変わらぬ気持ちのいいスイングで攻撃に貢献し、投打でチームを支えていた。

 

今大会ではヒーローの安達選手であるが、去年の都市対抗大会ではベンチに入ることすらできなかった。きっと悔しかったであろう、「自分もあの場で活躍したかった。今年は出て必ずチームの力になる。」と述べていた。安達選手はこの一年間並々ならぬ努力をし、あの場所で結果を残したのだ。

 

今の目標は「チームの中心選手になること」

今日も安達選手は自分の為、チームの為に迫力のフルスイングをしている。安達選手のドームでの活躍に期待したい。

 


カテゴリ:安達 和貴

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<選手の軌跡 ~鈴木 稜也~>

2018/07/17

第三号 「気持ちをストレートへ」

鈴木 稜也(すずき りょうや)投手

千葉県出身 拓大紅陵高校 ― 上武大学

 

 

千葉県出身、鈴木稜也選手の野球との出会いは兄が野球をやっており、感化され「一緒に遊びたい」との思いから始めたそうだ。小さなころから元気いっぱい鈴木選手は常に短パン少年で、みんなでバーベキューをやるような仲の良いチームと豊かな自然が少年を育てた。

 

中学校に進んだ鈴木投手は野球部に所属した。野球のみだけでなく、その運動センスを相撲や槍投げなどにも発揮し、特に相撲では全国大会にまで出場をするほどであった。鈴木投手の強靭な肩、足腰はこのころから培われていたのだ。

 

中学を卒業し、拓大紅陵高校に進学した。拓大紅陵高校で大事にしたことは「文武両道」。冬場に3時から行う朝練習など厳しい練習を行う野球はもちろんのこと、学問でも結果を求められていた。つらくても持ち前のまっすぐな性格で頑張っていた。高校の思い出を尋ねると、夏の予選でリリーフとして登板して1球でピンチを抑え勝ち投手になったことを良く覚えているそうだ。

 

鈴木投手は上武大学に進学し、1年生からベンチ入り。とびぬけた実力で公式戦初先発ながら全国大会の舞台で完封と大器の片鱗をうかがわせた。

 

鹿島硬式野球部に所属する現在、どんな選手になりたいか伺うと「チームを救う選手になりたい。そのために自分のアピールポイントであるストレートに気持ちを乗せて投げます。」

無心で野球に打ち込む集中力で凡打の山をドームに築いてほしい

一球入魂 鈴木投手


カテゴリ:鈴木 稜也

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<選手の軌跡 ~谷口 諒~>

2018/07/17

第二号 「猪突猛進~なりたい自分に~」

谷口 諒(たにぐち まこと)選手

愛知県出身 済美高校 ― 横浜商科大学

 

谷口諒の売りは「遠くへ飛ばす力」だ。これは練習で身に付けた技術ではなく、生まれ持った才能である。谷口選手が何を想い、何を考え野球を始め、プレイしているのか聞いてみた。

 

愛知県で暮らす谷口一家は生粋の中日ファンだ。谷口選手が幼き頃から、居間にあるテレビでは当然のように中日の試合が流れていた。父の影響もあって、野球に興味を持ち始めた谷口は「この目で観てみたい」と、ナゴヤドームに足を運んだ。これまで野球は観るものに過ぎなかったが、この観戦をきっかけに谷口はプロ野球選手を志すことになった。

 

プロを意識する谷口選手は中学では春日井ボーイズ、高校では済美高校へと進学した。中学ではスタメンを取ることができなかったが、猪突猛進な性格で腐ることなくずっと練習をしていたのが実り高校では監督にバッティングセンスを認められ、1年の秋にはスタメンに選ばれた。2年になると、4番を任されるほどだった。

 

その後横浜商科大学に進学。3年の秋季リーグでタイトルを獲得、秋季リーグで4年ベストナインを受賞など輝かしい成績を残している。なぜプロに行かないのかと思うほどの成績だが、大学ではプロ志望届は出さなかったそうだ。社会人で2年間きっちりやって、それからプロを目指した方がいいからと判断したからだ。

 

都市対抗本大会に向け今日もバッティングに磨きをかける谷口選手だが、「チームの顔、4番を打つ選手、勝負どころに強くなりたい」と言う谷口選手は自分の目標とそこに至るビジョンをはっきり見据えているように感じる。

 

昨年は出られなかった東京ドームでの試合、悔しさをバネに猪突猛進練習を重ねてきた。今年こそドームで魅力を発揮し熱い長い夏にしてくれるだろう。

打点を挙げ喜ぶ谷口とチーム


カテゴリ:谷口 諒

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<選手の軌跡 ~吉田 雅貴~>

2018/07/17

<選手の軌跡>を都市対抗野球大会二度目を経験する選手にスポットを当てて紹介していきます。
本大会に向けての意気込みなどを聞いておりますので、ぜひお楽しみください。

第一号 「全国大会に導ける投手、全国で勝てる投手。」

吉田 雅貴(よしだまさたか)投手

秋田出身  秋田中央高校 → 函館大学

 

秋田県潟上市出身、吉田選手。閑静な住宅街と自然に囲まれ、毎日活発に友達と遊びまわっていた吉田少年。そんな少年が野球を始めたきっかけは松井秀樹選手への憧れからであった。小学4年生から野球を始め、打ったり、投げたりすることを全力で楽しむ野球少年だった。

 

中学は2年生の秋からキャプテンを任せられたが、やんちゃな事をしすぎて冬でキャプテンを辞めさせられてしまった。チームはあまり強くなく、最後の大会も初戦負けをし、悔しい思いをしていた。

 

高校は、県内有数の進学校で文武両道を心掛けている秋田中央高校に進学し、チームメイトと共に甲子園出場を目指した。高校時代の思い出は2年の甲子園予選県大会の決勝戦でマウンドに上がれたこと。結果は3回4失点で、甲子園出場を逃してしまい悔しい思いをしたこと。

また、3年生夏、延長14回まで投げたがシード校ながら初戦敗退となってしまったことである。

惜しくも甲子園出場経験はなかったが一発勝負の舞台で吉田投手は大きく成長していた。

 

大学は、北海道六大学リーグ所属の函館大学に進学。上下関係があまり厳しくなく、チーム全員で仲良く楽しく野球ができる大学だった。一年から試合に出場し、大学1年秋季リーグでは、持ち味のスピードボールを武器に相手打者に向かっていき、北海道教大函館を相手にノーヒットノーランを達成と、一年生離れした実力を見せつけていた。四年生の秋季リーグ、旭川大での先発では自己最速を更新する151kmを二度マークした。四年間目標としてきたことができたことが思い出である。

 

鹿島硬式野球部に来て「大人が熱く、泥臭く、気持ちを前面に出して野球をしていることに驚いた」と言っていた吉田投手。都市対抗野球に対する意気込みを聞くと、「チームに全国への一勝をもたらしたい」と力強く答えていた。

意外にも鹿島に来るまで全国出場経験のない吉田投手だが、「野球生活で一度も全国大会に出たことがないし、そこが自分の甘いところ。社会人では、必ず自分のチームで全国大会に出場させて、プロ入りをアピールします。」と、これからの抱負を語ってくれた。二年目を迎える吉田投手に期待をしたい。

マウンドで集中する吉田投手


カテゴリ:吉田 雅貴

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<選手の軌跡 ~佐藤僚亮~>

2016/07/15

第8号 「勝てる投手になりたい」 佐藤僚亮(さとうりょうすけ)投手 山形県出身  山形中央高校     山形県は「紅花」で有名な河北町出身の佐藤僚亮選手。山に囲まれた自然豊かな地で生まれ育った。小さい頃から元気よく活発でいつも外で遊ぶ少年であった。 野球が大好きな父親の影響で小学生の頃から野球を始めた。最初はただがむしゃらにやっていたが「絶対に他の人には負けないぞ」と、大声を出しいつも全力でプレーをしていた少年時代であった。 佐藤(僚)(小学生)

少年時代の佐藤選手

 

中学校は地元の学校に進み部活動として野球に取り組んだ。3年生の夏、地区大会を勝ち抜き山形県大会に進んだが、1回戦で敗退した。

 

高校進学は地元山形の公立高校であり、部活動にも力を入れている山形中央高校に進学した。

1年生の時からベンチに入った。一番の思い出は2年生の夏、山形県大会を勝ち抜き甲子園に出場。1学年上の石川直也(現日本ハム)と二人で投げ抜き、佐藤投手は19イニングを投げ、1失点、27奪三振の力投を見せ、山形中央高校を甲子園出場に導いた。

甲子園では1回戦を勝ち、2回戦対東海大四高(北海道)戦に先発し、見事甲子園で勝利投手になった。チームは3回戦で敗退し、自らもリリーフで打たれたが、甲子園での3試合は自分にとって良い経験になった。

佐藤(僚)(高校)

甲子園で力投する佐藤投手

 

鹿島野球部での自分の今の課題はしっかりと基礎を作り上げること。

練習、努力を重ねチームのエースとして「勝てる投手」になって、都市対抗のマウンドに立ちたい。そう話す佐藤投手の顔に闘志が漲っていた。今後の佐藤投手に期待したい。

 

(記:後援会)


カテゴリ:佐藤僚亮-選手の軌跡

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<選手の軌跡 ~坂口 凌~>

2016/07/15

第7号 「投手陣を引っ張れる捕手になる」 坂口 凌(さかぐちりょう)捕手 群馬県出身  桐生市立商高 → 関東学院大学   群馬県桐生市出身の坂口選手。小学校1年生から野球を始めた。祖母がソフトボールの国体選手で、父親もソフトボールの経験者と自然と野球に興味をもった。 憧れの松坂大輔投手みたいになりたいと、この頃は投手として一生懸命練習した。 桐生市内は少年野球が盛んであり強豪チームも多くいたが、エースでキャプテンとして地区大会を勝ち、西武ドームで行われた全国大会に出場した。 坂口(小学生)

小学校時代の坂口選手

 

地元の中学校に進み、桐生ボーイズに所属した。この頃から内野手の練習も始め、投手兼内野手として練習に明け暮れた。中学1年生の時チームは全国大会に出場したが本人の出場機会はなく、今度は自分で力で出場すると練習に励んだが、全国大会への出場は出来なかった。

 

桐生市立商高に進学し甲子園を目指した。この頃は投手よりも内野手としての出場が多く、3年生の夏は5番3塁手として出場した。群馬県大会ではベスト4まで勝ち進んだが甲子園出場を果たせなかった。

高校3年生になる時に東日本大震災があり、復興支援の一環として岩手県の高田高校と試合した事が思い出として残っている。

 

大学は神奈川六大学リーグに所属する関東学院大学に進学。内野手として頑張っていたが、2年生の秋に転機が訪れた。強肩を買われ捕手にコンバートされ捕手の道を歩むことになる。捕手にコンバートされまもない頃のリーグ戦で石川清太投手(現鹿島野球部)とバッテリーを組んだ。その試合で石川投手の投球を捕れずに相手に点を与えたことが今も悔しく、より一層練習に励んだ。

坂口(大学)

大学時代の坂口選手

 

鹿島硬式野球部では、捕手のレギュラー目指し頑張っている。

「まだまだ課題は多いが、守備力を高め、レギュラーとして投手陣を引っ張れる捕手になりたい」と話す顔に活気が漲っていた。

 

(記:後援会)

 

<選手の軌跡 ~山内 武~>

2016/07/15

第6号 「悔しさを糧に」

山内 武(やまうちたける)投手

神奈川県出身  学法福島高校 - 函館大学

 

神奈川県出身の山内選手。小学校1年生の時先輩に誘われ野球を始めたが、最初は訳も分からずやっていた。

地元の少年野球チームに所属し、3年生からレギュラーとして試合に出場。6年生から投手を始めキャプテンとしてチームをまとめた。

外で遊ぶのが大好きで、野球の練習のない時はほとんど外で遊ぶ活発な少年であった。

 

地元の中学校に進み、横浜金沢シニアに所属し3年生の時全国シニア大会に出場した。

また、野球以外でも厳しく、礼儀や人との関わり方を学んだ。

 

高校は福島県にある学法福島高校に進学。甲子園への出場を目指した。高校時代の思い出は、2年生の秋、翌年の選抜高校野球大会出場をかけた東北大会に出場した。

初戦で花巻東高を破り、2回戦で青森の強豪光星学院と対戦したが、大差で敗れ甲子園出場が叶わなかったことと、3年生夏は肩の故障で投げれず、チームも県ベスト8で終わり悔しさが残ったことである。

 

大学は北海道の函館大学に進み、北海道六大学リーグで戦った。4年間で一度も全国大会に出場できず悔しさが残っている。

 

鹿島野球部では、自分の持ち味であるコントロールの良さを活かし、どんな場面でも投球でき、チームから信頼され、尊敬される投手になりたい。

こんな活気のあるチームで野球ができることで、今は野球が楽しい。

山内投手の東京ドームでの活躍に期待したい。

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現在の山内投手

(記:後援会)

 


カテゴリ:山内 武-選手の軌跡

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<選手の軌跡 ~大貫晋一~>

2016/07/15

第5号 「イチローに憧れて」

大貫晋一(おおぬきしんいち)投手

神奈川県出身  桐陽高校 - 日本体育大学

 

横浜市出身の大貫選手。小学校3年生の頃、友達と公園などでよくキャッチボールをして遊んでいたのがきっかけで野球を始めた。

小学校時代は外で遊ぶことが好きで、野球に限らず色々なスポーツをしていた。地元の少年野球チームに所属し、イチロー選手に憧れイチローみたいになりたいと、日々練習していた。

 

中学校は地元の中学校に進み、横浜青葉シニアに所属していた。チームは全国大会に出場するほど強豪であったが、メンバーに入ることが出来ないこともあり、悔しい思いをしていた。

 

高校は静岡県沼津市にある桐陽高校に進学した。県内の選手が多く最初は言葉などでとまどうこともあったが、仲良く楽しくプレーした。甲子園には出場できなかったが、3年間仲間と頑張り、3年生夏にはエースとして県ベスト8へ進出したことが思い出である。

 

大学は日本体育大学に進み、200名を超える部員がいる中厳しい競争があった。

大学時代の思い出は、2年生の秋のリーグ戦で東海大学を被安打3、1失点で完投し、チームもリーグ制覇。自分もベストナインに選ばれたことと、4年生秋に明治神宮野球大会の予選で憧れの横浜スタジアムのマウンドに立てたことである。

大貫(大学)

大学時代の大貫投手

鹿島野球部では投手陣の一員としてチームから信頼され、大事なところをまかせてもらえるような投手になりたい。

東京ドームでは自分のスタイルである、テンポよく、打たせて取る投球でチームの勝利に貢献したいと、力強く話してくれた。

(記:後援会)


カテゴリ:大貫晋一-選手の軌跡

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<選手の軌跡 ~西村竜治~>

2016/07/15

第4号 「存在自体がムードメーカー」

西村竜治(にしむらりゅうじ)内野手

大阪府出身  智辯学園高 - 明治大学

 

場所は2011年夏の甲子園。大会10日目の第4試合。強豪横浜高校相手に9回同点タイムリーを放ち、1塁ベース上で何度もガッツポーズする選手がいた。それが当時智辯学園高でプレーしていた西村選手である。まさにガッツで打ったヒットであった。そんな元気印の新人、西村選手に話を聞いてみた。

 

出身はだんじり祭で有名な大阪。父親の影響で始めた野球は、大阪らしいだんじりと浜風を浴びながらのものだった。

現在は内野手の西村選手も、中学・高校は投手であり憧れの選手は松坂大輔投手・松井秀樹選手だったそうである。とても練習が厳しい中高時代で、智辯学園時代は夜10時頃まで練習をしていたそうで、その甲斐あって3年夏の甲子園ではベスト8まで進んだ。

控えにまわっていた西村選手は自分の存在意義を探し、常に大きな声やチームメートを盛り上げる役に徹していた。当然試合に出られない苛立ちはあっただろう。そんな悔しさやチームを何とかしようという気持ちが、甲子園でのこのヒットにつながった。

 

その後名門明治大学へ進学。大学でも元気をモットーに頑張った西村選手だが、悔しい事が1つあったそうである。現在はチームメートである同期の佐藤竜一郎選手がいた法政大学にあと1勝のところで負けて優勝を逃した事だそうだ。

 

現在、都市対抗本大会に向け更に元気いっぱいの西村選手であるが、鹿島野球部に入部して感じたことや思ったことを聞いてみた。

「野球に対してとても真剣で、熱く、職場の思いを背負っている。これが社会人野球なんだ」との事だった。勝負どころでの1発を打てる打者になりたいと語る西村選手は、初めての予選大会や本大会を経験し、更に「存在自体がムードメーカー」になる事だろう。

ブルーウィングスからは今日も元気な西村選手の声が響く。

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現在の西村選手

(記:後援会)


カテゴリ:西村竜治-選手の軌跡

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<選手の軌跡 ~林 悠平~>

2016/07/14

第2号 「小さい頃から野球一筋で」

林 悠平(はやし ゆうへい)内野手

群馬県出身  桐生第一高校 - 東洋大学

 

群馬県利根郡みなかみ町出身の林選手。小学校1年生の頃から父親と兄の真似をして野球を始めた。父親が少年野球の監督、兄もまた野球少年で自然と野球を始めていた。

父親が監督をしている野球チームに所属し、山に囲まれた緑の多いグランドで野球ばかりしていた少年時代であった。

林(小学生)1

小学校時代の林選手

地元みなかみ町の中学校に進み、クラブ活動として軟式野球部に所属し、県大会出場目指し仲間と必死で頑張った。

高校は甲子園常連校である桐生第一高校に進学した。桐生第一高校へ行けば絶対に甲子園に行けると思った。

練習はとても厳しいものであった。甲子園目指して猛練習に耐え頑張ったが、自分の代で3年間一度も甲子園に行くことが叶わず、悔しい3年間であった。

大学は東都六大学の名門東洋大学に進学。1年生の秋に東都リーグⅡ部に転落し、その後ずっとⅡ部リーグでの戦いとなった。その間何回かⅠ部昇格のチャンスはあったが、昇格できなかった。4年生の秋に最後のチャンスが訪れた。

Ⅱ部リーグで優勝し、Ⅰ部入替え戦に進出した。相手はこの年のⅠ部最下位の駒沢大学。ただエースは横浜ベイスターズドラフト1位の今永投手。1試合目は相手エースに3安打で完封されたが、2試合目は打ち勝ち1勝1敗となり3試合目に持ちこんだ。最終戦はまたも相手エース今永との対戦となったが、今度は打ち崩しⅠ部昇格を果たした。

自分の最後のリーグ戦でⅠ部昇格を果たし、卒業できることは本当に嬉しく思った。

鹿島野球部では、泥臭く粘り強い頑張る野球の素晴らしさを学んでいる。その一員として頑張って行きたいと思っている。

東京ドームでの活躍に期待したい。

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現在の林選手のバッティング

(記:後援会)


カテゴリ:林 悠平-選手の軌跡

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