選手の軌跡

<選手の軌跡 ~山田 克志~>

2021/06/30

2021年版 2号「すべてに対して全力でプレーする」

山田 克志(やまだ かつし)選手

神奈川県出身 東海大甲府高校 ― 専修大学

 

蒸し暑い日が続くなか、都市対抗を見据え、日々練習に励む鹿島硬式野球部の選手達。私達後援会は、

チームのリードオフマンである山田克志選手に少しの間時間を頂き、クラブハウスでお話を伺った。

神奈川県川崎市に生まれ育った山田選手。野球選手のお父さんに勧められ、小学校1年生の時野球チームに

入り野球を始めた。お父さんとの思い出の練習は「二人ノック。」日暮れまでややっていたそうだ。

地道な練習の積み重ねで順調に野球選手として成長を続けた。

鹿島硬式野球部を知ったきっかけは、都市対抗で鹿島硬式野球部の試合を観たこと。

専修大でプレーしていた時の鹿島硬式野球部との練習試合での印象は「声が出るチーム」。

選手がピンチになった時もベンチ、グランドから声をかけてあげるチームと思ったとのこと。

鹿島硬式野球部への入部のきっかけの一つだったかもしれない。

現在試合で山田選手を見た時の印象として、ダッグアウトから両チームの声が飛び交う中でも、バッターボックス

に立つ山田選手にはどこかしら「静」の空気が漂っているようだ。ただ静かな感じだけではない。

虎視眈々と自分の狙う場所に球を放つイメージを持ち集中力を高め、勝負球は見逃さず、食らいついく。

彼が放つ一打でチームの攻撃の口火が切られていく。いわば「切り込み隊長」。

チームのトップバッターとしての役割を果たす山田選手。その持ち前の「集中力」で攻撃の火ぶたを切って打線を

引っ張ってほしい。

 

 

 

 

 

 

(記:後援会)


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<選手の軌跡 ~原田 寛樹~>

2021/06/22

2021年版 1号「元気ハツラツ!原田です!」

原田 寛樹(はらだ ひろき)選手

埼玉県出身 春日部共栄高校 ― 法政大学

 

「元気ハツラツが自分の売りです!」。元気よく自分をPRしてくれた原田選手に、小さい頃から社会人野球選手になるまでを振り返って頂き、お話を伺った。

埼玉県の北西部に位置し自然に囲まれた町、美里(みさと)町出身の原田選手は、お父さんはキャッチャー出身で、お母さんはソフトボールのピッチャーという家庭に生まれ、本人曰く3歳のころにはバットやグローブは遊び道具だったとのこと。子供の頃は「元気ハツラツに白球を日が暮れるまで追いかけていました」と振り返る原田選手。ポジションはお父さんと同じキャッチャーで少年時代を過ごし、中学生の時にプレーしたボーイズリーグでは関東大会優勝まで経験した。

 原田選手にとって一つの転機になったのは、春日部共栄高校2年生の時のサードへのポジション変更。

同級生にキャッチャーがいたこともあり、原田選手はバッティングを買われてサードに転向。

 

 

 

 

 

 

キャッチャー時代に培った肩と、体で走者を止めるタッチプレーがサードでの守備でも生きたそうだ。

「内野手、原田」は春日部共栄の戦力として高校3年生で夏の甲子園に出場し、打線を支えた。同校の打線は1回戦では竜谷大平安高校を相手に初回で5点を奪ったことも思い出の一つである。

原田選手は法政大に進路を選び、「警察官をめざして」法学部に進んだ。法政大では1ポジションを7人~8人が争う、高校とは比べ物にならない環境の中で、レギュラーになれないという「挫折」を味わった。乗り越えたのは持ち前のガッツだけではないだろうが、鹿島硬式野球部での野球生活に繋がっていると思う。

原田選手に話を伺いながら感じたのは、力みのない自然体の「気持ちの強さ」である。我を張る「気の強さ」とは違う。応援する側が気の休まる、原田選手が持つ「気持ちの強さ」が生み出す、力みのない積極的なプレーをこれからもスタンドから応援していきたい。

                                       (記:後援会)


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<選手の軌跡 ~安達 和貴~>

2018/07/17

第四号 「チームの中心へ~フルスイング~」

安達 和貴(あだち かずき)選手

岐阜県出身 岐阜県立山県高校 ― 岐阜聖徳学園大学

 

北関東大会3日目、負けたら大会敗退0対0 2アウト2塁チャンスがやってきた。「カーン」と気持ちいい打球音が響く、決勝点を取り2塁で喜びを見せる選手、今回のヒーロー安達選手である。そんな安達選手に話を聞いてきた。

 

エンタイトルツーベースを打つヒーロー安達選手

 

 

 

 

 

 

 

 

安達選手が野球を始めたきっかけは「友達に誘われて」始めたそうだ。小さなころから元気で明るい性格。そんな安達選手がいるチームもみんな仲良しでとても野球をしやすい環境であった。それだけでなく、小6の時には全国大会出場と強いチームでのプレイが今の安達選手の下地を作った。

 

現在では、外野を守る安達選手だが中学ではファースト、高校では投手をしていたそうだ。

高校生ながら186cm86kgの体躯から真上から投げ下ろす外国人投手のようなフォームで迫力十分の守備、打っては今と変わらぬ気持ちのいいスイングで攻撃に貢献し、投打でチームを支えていた。

 

今大会ではヒーローの安達選手であるが、去年の都市対抗大会ではベンチに入ることすらできなかった。きっと悔しかったであろう、「自分もあの場で活躍したかった。今年は出て必ずチームの力になる。」と述べていた。安達選手はこの一年間並々ならぬ努力をし、あの場所で結果を残したのだ。

 

今の目標は「チームの中心選手になること」

今日も安達選手は自分の為、チームの為に迫力のフルスイングをしている。安達選手のドームでの活躍に期待したい。

 


カテゴリ:安達 和貴

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<選手の軌跡 ~鈴木 稜也~>

2018/07/17

第三号 「気持ちをストレートへ」

鈴木 稜也(すずき りょうや)投手

千葉県出身 拓大紅陵高校 ― 上武大学

 

 

千葉県出身、鈴木稜也選手の野球との出会いは兄が野球をやっており、感化され「一緒に遊びたい」との思いから始めたそうだ。小さなころから元気いっぱい鈴木選手は常に短パン少年で、みんなでバーベキューをやるような仲の良いチームと豊かな自然が少年を育てた。

 

中学校に進んだ鈴木投手は野球部に所属した。野球のみだけでなく、その運動センスを相撲や槍投げなどにも発揮し、特に相撲では全国大会にまで出場をするほどであった。鈴木投手の強靭な肩、足腰はこのころから培われていたのだ。

 

中学を卒業し、拓大紅陵高校に進学した。拓大紅陵高校で大事にしたことは「文武両道」。冬場に3時から行う朝練習など厳しい練習を行う野球はもちろんのこと、学問でも結果を求められていた。つらくても持ち前のまっすぐな性格で頑張っていた。高校の思い出を尋ねると、夏の予選でリリーフとして登板して1球でピンチを抑え勝ち投手になったことを良く覚えているそうだ。

 

鈴木投手は上武大学に進学し、1年生からベンチ入り。とびぬけた実力で公式戦初先発ながら全国大会の舞台で完封と大器の片鱗をうかがわせた。

 

鹿島硬式野球部に所属する現在、どんな選手になりたいか伺うと「チームを救う選手になりたい。そのために自分のアピールポイントであるストレートに気持ちを乗せて投げます。」

無心で野球に打ち込む集中力で凡打の山をドームに築いてほしい

一球入魂 鈴木投手


カテゴリ:鈴木 稜也

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<選手の軌跡 ~谷口 諒~>

2018/07/17

第二号 「猪突猛進~なりたい自分に~」

谷口 諒(たにぐち まこと)選手

愛知県出身 済美高校 ― 横浜商科大学

 

谷口諒の売りは「遠くへ飛ばす力」だ。これは練習で身に付けた技術ではなく、生まれ持った才能である。谷口選手が何を想い、何を考え野球を始め、プレイしているのか聞いてみた。

 

愛知県で暮らす谷口一家は生粋の中日ファンだ。谷口選手が幼き頃から、居間にあるテレビでは当然のように中日の試合が流れていた。父の影響もあって、野球に興味を持ち始めた谷口は「この目で観てみたい」と、ナゴヤドームに足を運んだ。これまで野球は観るものに過ぎなかったが、この観戦をきっかけに谷口はプロ野球選手を志すことになった。

 

プロを意識する谷口選手は中学では春日井ボーイズ、高校では済美高校へと進学した。中学ではスタメンを取ることができなかったが、猪突猛進な性格で腐ることなくずっと練習をしていたのが実り高校では監督にバッティングセンスを認められ、1年の秋にはスタメンに選ばれた。2年になると、4番を任されるほどだった。

 

その後横浜商科大学に進学。3年の秋季リーグでタイトルを獲得、秋季リーグで4年ベストナインを受賞など輝かしい成績を残している。なぜプロに行かないのかと思うほどの成績だが、大学ではプロ志望届は出さなかったそうだ。社会人で2年間きっちりやって、それからプロを目指した方がいいからと判断したからだ。

 

都市対抗本大会に向け今日もバッティングに磨きをかける谷口選手だが、「チームの顔、4番を打つ選手、勝負どころに強くなりたい」と言う谷口選手は自分の目標とそこに至るビジョンをはっきり見据えているように感じる。

 

昨年は出られなかった東京ドームでの試合、悔しさをバネに猪突猛進練習を重ねてきた。今年こそドームで魅力を発揮し熱い長い夏にしてくれるだろう。

打点を挙げ喜ぶ谷口とチーム


カテゴリ:谷口 諒

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<選手の軌跡 ~吉田 雅貴~>

2018/07/17

<選手の軌跡>を都市対抗野球大会二度目を経験する選手にスポットを当てて紹介していきます。
本大会に向けての意気込みなどを聞いておりますので、ぜひお楽しみください。

第一号 「全国大会に導ける投手、全国で勝てる投手。」

吉田 雅貴(よしだまさたか)投手

秋田出身  秋田中央高校 → 函館大学

 

秋田県潟上市出身、吉田選手。閑静な住宅街と自然に囲まれ、毎日活発に友達と遊びまわっていた吉田少年。そんな少年が野球を始めたきっかけは松井秀樹選手への憧れからであった。小学4年生から野球を始め、打ったり、投げたりすることを全力で楽しむ野球少年だった。

 

中学は2年生の秋からキャプテンを任せられたが、やんちゃな事をしすぎて冬でキャプテンを辞めさせられてしまった。チームはあまり強くなく、最後の大会も初戦負けをし、悔しい思いをしていた。

 

高校は、県内有数の進学校で文武両道を心掛けている秋田中央高校に進学し、チームメイトと共に甲子園出場を目指した。高校時代の思い出は2年の甲子園予選県大会の決勝戦でマウンドに上がれたこと。結果は3回4失点で、甲子園出場を逃してしまい悔しい思いをしたこと。

また、3年生夏、延長14回まで投げたがシード校ながら初戦敗退となってしまったことである。

惜しくも甲子園出場経験はなかったが一発勝負の舞台で吉田投手は大きく成長していた。

 

大学は、北海道六大学リーグ所属の函館大学に進学。上下関係があまり厳しくなく、チーム全員で仲良く楽しく野球ができる大学だった。一年から試合に出場し、大学1年秋季リーグでは、持ち味のスピードボールを武器に相手打者に向かっていき、北海道教大函館を相手にノーヒットノーランを達成と、一年生離れした実力を見せつけていた。四年生の秋季リーグ、旭川大での先発では自己最速を更新する151kmを二度マークした。四年間目標としてきたことができたことが思い出である。

 

鹿島硬式野球部に来て「大人が熱く、泥臭く、気持ちを前面に出して野球をしていることに驚いた」と言っていた吉田投手。都市対抗野球に対する意気込みを聞くと、「チームに全国への一勝をもたらしたい」と力強く答えていた。

意外にも鹿島に来るまで全国出場経験のない吉田投手だが、「野球生活で一度も全国大会に出たことがないし、そこが自分の甘いところ。社会人では、必ず自分のチームで全国大会に出場させて、プロ入りをアピールします。」と、これからの抱負を語ってくれた。二年目を迎える吉田投手に期待をしたい。

マウンドで集中する吉田投手


カテゴリ:吉田 雅貴

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<選手の軌跡 ~佐藤僚亮~>

2016/07/15

第8号 「勝てる投手になりたい」 佐藤僚亮(さとうりょうすけ)投手 山形県出身  山形中央高校     山形県は「紅花」で有名な河北町出身の佐藤僚亮選手。山に囲まれた自然豊かな地で生まれ育った。小さい頃から元気よく活発でいつも外で遊ぶ少年であった。 野球が大好きな父親の影響で小学生の頃から野球を始めた。最初はただがむしゃらにやっていたが「絶対に他の人には負けないぞ」と、大声を出しいつも全力でプレーをしていた少年時代であった。 佐藤(僚)(小学生)

少年時代の佐藤選手

 

中学校は地元の学校に進み部活動として野球に取り組んだ。3年生の夏、地区大会を勝ち抜き山形県大会に進んだが、1回戦で敗退した。

 

高校進学は地元山形の公立高校であり、部活動にも力を入れている山形中央高校に進学した。

1年生の時からベンチに入った。一番の思い出は2年生の夏、山形県大会を勝ち抜き甲子園に出場。1学年上の石川直也(現日本ハム)と二人で投げ抜き、佐藤投手は19イニングを投げ、1失点、27奪三振の力投を見せ、山形中央高校を甲子園出場に導いた。

甲子園では1回戦を勝ち、2回戦対東海大四高(北海道)戦に先発し、見事甲子園で勝利投手になった。チームは3回戦で敗退し、自らもリリーフで打たれたが、甲子園での3試合は自分にとって良い経験になった。

佐藤(僚)(高校)

甲子園で力投する佐藤投手

 

鹿島野球部での自分の今の課題はしっかりと基礎を作り上げること。

練習、努力を重ねチームのエースとして「勝てる投手」になって、都市対抗のマウンドに立ちたい。そう話す佐藤投手の顔に闘志が漲っていた。今後の佐藤投手に期待したい。

 

(記:後援会)


カテゴリ:佐藤僚亮-選手の軌跡

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<選手の軌跡 ~坂口 凌~>

2016/07/15

第7号 「投手陣を引っ張れる捕手になる」 坂口 凌(さかぐちりょう)捕手 群馬県出身  桐生市立商高 → 関東学院大学   群馬県桐生市出身の坂口選手。小学校1年生から野球を始めた。祖母がソフトボールの国体選手で、父親もソフトボールの経験者と自然と野球に興味をもった。 憧れの松坂大輔投手みたいになりたいと、この頃は投手として一生懸命練習した。 桐生市内は少年野球が盛んであり強豪チームも多くいたが、エースでキャプテンとして地区大会を勝ち、西武ドームで行われた全国大会に出場した。 坂口(小学生)

小学校時代の坂口選手

 

地元の中学校に進み、桐生ボーイズに所属した。この頃から内野手の練習も始め、投手兼内野手として練習に明け暮れた。中学1年生の時チームは全国大会に出場したが本人の出場機会はなく、今度は自分で力で出場すると練習に励んだが、全国大会への出場は出来なかった。

 

桐生市立商高に進学し甲子園を目指した。この頃は投手よりも内野手としての出場が多く、3年生の夏は5番3塁手として出場した。群馬県大会ではベスト4まで勝ち進んだが甲子園出場を果たせなかった。

高校3年生になる時に東日本大震災があり、復興支援の一環として岩手県の高田高校と試合した事が思い出として残っている。

 

大学は神奈川六大学リーグに所属する関東学院大学に進学。内野手として頑張っていたが、2年生の秋に転機が訪れた。強肩を買われ捕手にコンバートされ捕手の道を歩むことになる。捕手にコンバートされまもない頃のリーグ戦で石川清太投手(現鹿島野球部)とバッテリーを組んだ。その試合で石川投手の投球を捕れずに相手に点を与えたことが今も悔しく、より一層練習に励んだ。

坂口(大学)

大学時代の坂口選手

 

鹿島硬式野球部では、捕手のレギュラー目指し頑張っている。

「まだまだ課題は多いが、守備力を高め、レギュラーとして投手陣を引っ張れる捕手になりたい」と話す顔に活気が漲っていた。

 

(記:後援会)

 

<選手の軌跡 ~山内 武~>

2016/07/15

第6号 「悔しさを糧に」

山内 武(やまうちたける)投手

神奈川県出身  学法福島高校 - 函館大学

 

神奈川県出身の山内選手。小学校1年生の時先輩に誘われ野球を始めたが、最初は訳も分からずやっていた。

地元の少年野球チームに所属し、3年生からレギュラーとして試合に出場。6年生から投手を始めキャプテンとしてチームをまとめた。

外で遊ぶのが大好きで、野球の練習のない時はほとんど外で遊ぶ活発な少年であった。

 

地元の中学校に進み、横浜金沢シニアに所属し3年生の時全国シニア大会に出場した。

また、野球以外でも厳しく、礼儀や人との関わり方を学んだ。

 

高校は福島県にある学法福島高校に進学。甲子園への出場を目指した。高校時代の思い出は、2年生の秋、翌年の選抜高校野球大会出場をかけた東北大会に出場した。

初戦で花巻東高を破り、2回戦で青森の強豪光星学院と対戦したが、大差で敗れ甲子園出場が叶わなかったことと、3年生夏は肩の故障で投げれず、チームも県ベスト8で終わり悔しさが残ったことである。

 

大学は北海道の函館大学に進み、北海道六大学リーグで戦った。4年間で一度も全国大会に出場できず悔しさが残っている。

 

鹿島野球部では、自分の持ち味であるコントロールの良さを活かし、どんな場面でも投球でき、チームから信頼され、尊敬される投手になりたい。

こんな活気のあるチームで野球ができることで、今は野球が楽しい。

山内投手の東京ドームでの活躍に期待したい。

IMG_4145

現在の山内投手

(記:後援会)

 


カテゴリ:山内 武-選手の軌跡

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<選手の軌跡 ~大貫晋一~>

2016/07/15

第5号 「イチローに憧れて」

大貫晋一(おおぬきしんいち)投手

神奈川県出身  桐陽高校 - 日本体育大学

 

横浜市出身の大貫選手。小学校3年生の頃、友達と公園などでよくキャッチボールをして遊んでいたのがきっかけで野球を始めた。

小学校時代は外で遊ぶことが好きで、野球に限らず色々なスポーツをしていた。地元の少年野球チームに所属し、イチロー選手に憧れイチローみたいになりたいと、日々練習していた。

 

中学校は地元の中学校に進み、横浜青葉シニアに所属していた。チームは全国大会に出場するほど強豪であったが、メンバーに入ることが出来ないこともあり、悔しい思いをしていた。

 

高校は静岡県沼津市にある桐陽高校に進学した。県内の選手が多く最初は言葉などでとまどうこともあったが、仲良く楽しくプレーした。甲子園には出場できなかったが、3年間仲間と頑張り、3年生夏にはエースとして県ベスト8へ進出したことが思い出である。

 

大学は日本体育大学に進み、200名を超える部員がいる中厳しい競争があった。

大学時代の思い出は、2年生の秋のリーグ戦で東海大学を被安打3、1失点で完投し、チームもリーグ制覇。自分もベストナインに選ばれたことと、4年生秋に明治神宮野球大会の予選で憧れの横浜スタジアムのマウンドに立てたことである。

大貫(大学)

大学時代の大貫投手

鹿島野球部では投手陣の一員としてチームから信頼され、大事なところをまかせてもらえるような投手になりたい。

東京ドームでは自分のスタイルである、テンポよく、打たせて取る投球でチームの勝利に貢献したいと、力強く話してくれた。

(記:後援会)


カテゴリ:大貫晋一-選手の軌跡

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