<選手の軌跡 ~原田 寛樹~>

2021年版 1号「元気ハツラツ!原田です!」

原田 寛樹(はらだ ひろき)選手

埼玉県出身 春日部共栄高校 ― 法政大学

 

「元気ハツラツが自分の売りです!」。元気よく自分をPRしてくれた原田選手に、小さい頃から社会人野球選手になるまでを振り返って頂き、お話を伺った。

埼玉県の北西部に位置し自然に囲まれた町、美里(みさと)町出身の原田選手は、お父さんはキャッチャー出身で、お母さんはソフトボールのピッチャーという家庭に生まれ、本人曰く3歳のころにはバットやグローブは遊び道具だったとのこと。子供の頃は「元気ハツラツに白球を日が暮れるまで追いかけていました」と振り返る原田選手。ポジションはお父さんと同じキャッチャーで少年時代を過ごし、中学生の時にプレーしたボーイズリーグでは関東大会優勝まで経験した。

 原田選手にとって一つの転機になったのは、春日部共栄高校2年生の時のサードへのポジション変更。

同級生にキャッチャーがいたこともあり、原田選手はバッティングを買われてサードに転向。

 

 

 

 

 

 

キャッチャー時代に培った肩と、体で走者を止めるタッチプレーがサードでの守備でも生きたそうだ。

「内野手、原田」は春日部共栄の戦力として高校3年生で夏の甲子園に出場し、打線を支えた。同校の打線は1回戦では竜谷大平安高校を相手に初回で5点を奪ったことも思い出の一つである。

原田選手は法政大に進路を選び、「警察官をめざして」法学部に進んだ。法政大では1ポジションを7人~8人が争う、高校とは比べ物にならない環境の中で、レギュラーになれないという「挫折」を味わった。乗り越えたのは持ち前のガッツだけではないだろうが、鹿島硬式野球部での野球生活に繋がっていると思う。

原田選手に話を伺いながら感じたのは、力みのない自然体の「気持ちの強さ」である。我を張る「気の強さ」とは違う。応援する側が気の休まる、原田選手が持つ「気持ちの強さ」が生み出す、力みのない積極的なプレーをこれからもスタンドから応援していきたい。

                                       (記:後援会)

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