<選手の軌跡~中倉 祐人~>

今回より、硬式野球部後援会ホームページに、「選手の軌跡」と題して1回/週をペースに選手が歩んできた道や、野球人生での転機となった事、これからの目指すこと、夢など、選手一人ひとりにスポットを当て、KASHIMA BLUE WINGSファンの皆様に選手をより身近に感じて頂けるよう、選手それぞれの軌跡を紹介します。

 

第1号  【南国で育ったソフトボール少年が野球選手へ】

 

中倉 祐人(なかくら ひろと) 外野手

鹿児島県出身  PL学園 - 東洋大学出身

 

硬式野球部でクリーンアップの一角を担う中倉外野手の野球選手生活は、郷里鹿児島県大崎で小学校からのソフトボールに始まる。

親の仕事が転勤族でもあり、子供の頃は九州地区を転々とした。そのため友達がなかなかできず、父親が転勤で大崎に居を構えた時に親の薦めもあって、当時ではソフトボールチームの強豪が多かった大崎地区のソフトボール部に入部した。

負けず嫌いの性格もあったのか、泣きながらも練習に明け暮れた少年時代である。強豪がひしめき、自分よりも一回りも大きい小学生から放たれる速球をとにかく打ち返した。チームではクリーンアップを任された。直球にめっぽう強くなったのはソフトボールに打ち込んだ子供の頃の影響もあるのかもしれない。

ソフトボールに打ち込んでいた小学校時代

 

そんな中倉も中学生になってからは、ソフトボールを白球に握りかえ本格的に野球の道に進む。高校はかの野球の名門PL学園に進学。

PL学園時代には、大阪地方予選決勝で大阪桐蔭高校を延長15回で引分け再試合の末、翌日に大差で打ち破り甲子園に出場。本人曰く「ほんまやりきったな」という感じ。

甲子園出場を決め、優勝メダルを胸に

 

中倉の野球人生の中で忘れられない試合がある。PL学園から進学した東洋大学で大学日本選手権での近畿大学戦。9回表東洋大0-2近畿大。2死一塁で回って来た自分の打席。

3ボール2ストライクまでカウントを追い込まれたあと、自らのホームランで追いついた。試合は延長15回までもつれこみ、東洋大が5点をもぎ取り勝利。最後まであきらめず粘りに粘った上での勝利だった。まさに試合の流れを変えた一球だ。

大学選手権でのダイナミックな打撃フォーム

 

新日鐵住金鹿島で現在はライトで4番を打つ。なかなか結果につながらない自分に歯がゆさを感じながら、引っ張るだけでなく広角に打つことを課題に練習に明け暮れる。

自分が入部してからWドームへの出場はない。スラッガーとして課題を克服し、チームの主軸打者として野球部をこれからも引っ張っていく。穏やか表情の中にも、少年時代からの負けず嫌いの闘志が感じられた。

(記:後援会)

 

 

次号は

【自分の野球の原点 -親父の存在-】

片葺 翔太(かたぶき しょうた)選手です。 ご期待下さい。

 

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