第9号 「悔しさをバネに、より高いレベルを目指す」
能間 隆彰 (のうま たかあき) 投手
神奈川県出身 桐蔭学園高校 - 東洋大学
能間選手に子供の頃からの話を伺った。
野球を始めたのは小学校1年生の時、野球をやっていた2年先輩に誘われてクラブチームに見学に行き、本人からすれば「なんとなく」入ったのがきっかけとのこと。
クラブチームに入部して最初3年間は球拾いや外野守備、ピッチャーに縁はなかった。
小学校4年生の時に、左利きである事を買われマウンドに立つことになった。
中学校も部活では野球部に所属し、左腕投手として活躍した。
高校進学時には、数々の高校から声がかかっていた能間投手。中学の1年先輩が進学していた桐蔭学園高校に進んだ。進学校でもあり将来の選択肢を増やしておきたい考えからだった。能間投手に伺うと、高校時代本人的には納得したピッチングの試合が少ないという。
特に2009年の夏の甲子園神奈川大会決勝戦。対戦相手は横浜隼人高校。序盤に4点を先制するも、自身のピッチングで4失点を喫し追いつかれ降板。試合は再び勝ち越したものの、再度追いつかれ、延長11回裏に5-6でサヨナラ負け。桐蔭学園が27年目にして決勝戦で初めて土がつき、甲子園を逃したのである。能間投手は悔しさで一杯であった。
その後進学した東洋大学でも悔しさで忘れられない試合が、2012年の東都大学秋季リーグでの1部2部入れ替え戦。勝てば1部昇格、負けると2部残留となる試合での対戦相手は専修大学。0勝1敗で迎えた負けられない第2戦。先発の好投により1-0リードで持ちこたえていた試合だったが、8回の表に1死1塁3塁のピンチで能間投手の登板。犠飛と盗塁、ヒットで逆転され1-2で敗戦。能間投手には自責点はなかったものの、1部昇格を逃した悔しさの残る試合であった。
自分の中で、「これだ!」と言える納得のいくピッチングがこれまでなかなかない。それだけ妥協せず、常に高みを目指し日々練習に打ち込んでいるのであろう。将来は、できればより高いレベルの舞台で野球をすることができればと考えている。
2016年の能間投手のピッチングに期待したい。
豪快なピッチングの能間投手
(記:後援会)