<選手の軌跡~藤本 雄也~>

第13号  「左に藤本、右に新西 -都城商業2枚看板投手の夏の高校野球での活躍」

 

藤本 雄也 (ふじもと ゆうや) 外野手

宮崎県出身  都城商業高校 - 國學院大学

 

 

プロ野球や企業チームのキャンプ地として有名な宮崎県出身の藤本選手にこれまで歩んで来た野球人生について伺った。

子供の頃は川遊びが大好きで、魚釣りなどをして楽しんでいた。本格的に野球を始めたのは小学校3年生の時、野球が盛んに行われる風土の中「ごく自然に」野球を始めていたとのこと。ポジションは最初からピッチャー、「背番号1番」のユニフォームに憧れて投げ込む日々であった。

中学校でも地元のチームでピッチャーを担っていた藤本選手はその後、宮崎県立都城商業高校に進学し、1年生から野球部でベンチ入りし甲子園を目指すことになる。

 

2009年夏の高校野球で、都城商業高校は「左の藤本、右の新西(現光シーガルズ)」と言われた。共に140㎞を超える速球を投げる2枚看板を擁し甲子園出場をかけ大会に臨んだ。宮崎大会を順調に勝ち進み決勝戦の相手宮崎商業高校を破り、公立高校としては県内で28年振りに甲子園出場。

甲子園でも順調にコマを進め、3回戦で強豪智弁和歌山高校(和歌山県)を破り、ベスト8まで進出する快挙を成し遂げる。ベスト8では、エース堂林(現広島東洋カープ)擁する中京大中京高校(愛知県)に2-6で敗戦はしたが、念願の甲子園出場でベスト8進出という奮闘ぶりに地元宮崎は大いに沸いた。

 

藤本選手は國學院大学に進学。最初はピッチャーをやっていたが、「甲子園にも出場し、充分にピッチャーとして投げた。自分はバッティングも好きだし野手で活躍したい。」甲子園で3番打者を任されクリーンナップの一翼を担っていた藤本投手は野手に絞った。藤本選手の転機がここに訪れる。

東都大学リーグでは忘れられない試合は、平成24年春季リーグの1部・2部入替戦で日本大学(現鹿島硬式野球部、山井投手所属)との対戦。2部から1部への昇格がかかる我が國學院大学は、第1戦で藤本が2安打を打つも山井に完封負け。2戦目は藤本の3安打の活躍もあり勝利。最終第3戦は、再び山井投手が先発、「絶対に1部に上がるぞ!」との気持ちのもと、6-1で日本大学を破り見事1部昇格を決めた。

 

現在所属する鹿島硬式野球部での本人の目標は「年間を通じて打率3割を狙う事。体は小さくてもパワーヒッターとして頑張ります。」2016年の藤本選手の活躍を期待したい
                    藤本選手のバッティング

(記:後援会)

 

 

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