第16号 「投手であり続けることで今の自分がいる」
藤原 利樹 (ふじわら としき) 投手
秋田県出身 大曲工業高校 - 常盤大学
豪雪地帯秋田県大仙市出身の藤原投手に野球との出会いからの話を伺った。
藤原投手が野球ボールを握り、投げ始めたのは小学校1年生の頃。父親とのキャッチボールを始めたのがきっかけである。近くの少年野球チームが小学校4年生からしか入れなかったこともあり、それまではひたすら自宅の庭や田んぼで野球をして過ごし、父親だけでなく母親、弟祖父までがキャッチャーをつとめた。秋田県の田舎で文字通りのびのびと幼少時代を過ごした。小学校4年生の時にクラブチームに所属。最初からピッチャーを任された。幼少時代に培われた基礎が生かされたのだろう。
中学校に進んだ藤原投手は軟式野球部に所属し、ピッチャーを担った。野球のみでなく、その運動センスは中学校の陸上競技でも活かされ、ハードル競技で県大会の代表まで選出されるほどであった。藤原投手といえばその長身からのピッチングが持ち味だが、中学校を卒業する時点で身長は184㎝まで伸びており一際目立つ存在だったであろう。
高校は地元の強豪校、大曲工業高校に進学。1年生の秋からベンチに入り、投手陣の一翼を担う。冬場は雪が積もったグラウンドの中、長靴を履いて雪に交じりながら、雪を踏みしめながらの厳しい練習に明け暮れたのである。決して恵まれた練習環境ではなかったが、そうした中でハングリー精神が養われていった。大曲工業高校は藤原投手が3年時に夏の秋田県大会でベスト8まで進んだものの、大館鳳鳴高校に0-2で完封負け。藤原投手は2番手投手でこの試合1イニングも登板できず、悔しさが残った。「このまま野球を終われない。」
藤原投手は常盤大学に進学し、1年生秋からベンチ入り。忘れられない試合がある。1年生の秋季リーグ戦。平成国際大学相手に13回延長戦を独りで投げ抜いた。試合は12回まで0-0のまま進んでいたが、13回に味方が8得点、8-0の完封勝利で終わった。
藤原投手に今までの野球人生を改めて振り返ってもらうと、「ピッチャーとして自分が投げ続けられたことが野球人生の中では大きい。ピッチャーでなければ野球はここまで出来ていなかったし、大きく育ててくれた家族に感謝している。」
今の鹿島硬式野球部での自身の課題は、ストレートで押して行く力強さをより高めること。Wドーム出場を目標に日々練習で投げ込む藤原投手の2016年シーズンの活躍に期待したい。
(記:後援会)