<選手の軌跡~嶋田 泰祐~>

 

第17号  「自分を支えるもの - 負けず嫌いの性格」

 

 

嶋田 泰祐 (しまだ たいすけ) 投手

福井県出身  羽水高校 - 日本体育大学

 

 

福井県越前市出身の嶋田選手の野球との出会いは小学校1年生の時。隣近所で一緒に遊んでいた1歳上の友達が野球を始め、「じゃあ俺も!」と、少年野球団に入団。

野球を始めたといってもまだ小学校1年生。最初からボールを握るでもなく、先輩選手が練習に励むのを横目にグランドの砂いじりやグランドにいるバッタなどを追いかけて遊んでいたそうだ。

嶋田選手がピッチャーとして道を歩み始めたのは小学校5年生の時。それまでは外野を守っていたが、左利きであることはチームにとって貴重だったのだろう。左腕嶋田投手の誕生である。少年野球チームの主力として着実に成長し小学校6年生の時にはエースで4番、キャプテンを任されるまでになっていった。

 小学校時代の嶋田投手

 

 

中学校に進んだ嶋田投手は軟式野球部に所属。ここで嶋田投手曰く「カリスマ」川村監督との出会いが訪れる。2つ上兄も所属していた南越中学校野球部を県大会優勝、さらにはナゴヤドームで行われる中部日本地区選抜中学校軟式野球大会で優勝に導いた名将。

「選手が良いプレーができるよう『洗脳』するのが上手かった人だと思う。(嶋田投手)」

 

 

嶋田選手を始め主軸の選手を中心に選手皆が監督に感化され中学時代の野球生活を送ったのである。ところが、川村監督が南越中学校から福井県立羽水高校へ異動されることになった。今まで監督についてきた選手達特に主軸選手は「それなら俺たちも羽水高校に入って、監督の下で野球をやろう!」。嶋田選手は福井県内でも有数の進学校である羽水高校へ合格する為に野球部の練習後、夜遅く迄塾に通い猛勉強。見事合格した。

 

 

高校で野球部入部後、川村監督の指導の下1年生の秋からエースを託され投手陣を引っ張った。2年生の春の大会では1試合18奪三振という県記録を打ち立てた。

 中央で満面の笑みの嶋田投手(高校時代)

 

嶋田 選手に話を聞くと「自分は究極の負けず嫌い。大学進学後も高校からのエリート選手は多くいた。自分は野球では無名の羽水高校から入部。雑草魂というんですかね。とにかく負けたくなかった。今の自分を支えているのはこの性格だと思います。」

鹿島硬式野球部での目標は、先発完投。都市対抗、日本選手権ときっちりと自分の役割を果たしたいとのこと。野球部投手陣を支える嶋田投手の2016年シーズンの活躍に期待したい。

 

(記:後援会)

 

 

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