第20号 「試合を決めたサヨナラの一打」
樋口 瑠偉 (ひぐち るい) 投手
長崎県出身 壱岐商業高校 - 日本文理大学
長崎県の壱岐市出身の樋口選手。九州と対馬の間にある島で生まれた樋口少年は小学校1年の時に野球を始めた。野球を始めるまではサッカーや、水泳をして外で遊びまわっていた。樋口瑠偉選手の「瑠偉」は元プロサッカー選手のラモス瑠偉に因んで付けられたとのこと。本人はサッカー遊びを結構楽しんでいたが、壱岐市はサッカーが盛んというわけでもなく、「スポーツと言えば野球」という中で、周りの友達が野球で頑張っているのを見て自然と野球の輪の中に入っていった。小学校の軟式野球のクラブに入部して、最初からピッチャーだった。
小学校時代の樋口選手
樋口選手は地元の壱岐商業高校に進学。野球部で1年生からベンチ入りした。
今でも覚えている試合は2年生の時の夏の大会で初戦諫早東高校との対戦。中指を負傷しそのまま投げ続けたが、球も走らず失点を喫してしまう。流れは諫早東高校に行き負けを覚悟した。「先輩たちの夏が終わってしまう。申し訳ない。」ところが試合は雨天再試合と思わぬ運びとなった。翌日の試合ではライトで先発出場。9回裏2アウトランナー1塁でランナーが帰ればサヨナラの場面。打席が自分にまわってきた。「勝つためにはこのランナーを帰すしかない。ライト線一杯を狙うぞ。」集中力を高め放った一打が見事にライト線方向に飛びランナー生還、サヨナラヒットで勝利を収めた。試合を決めた一打、そして何より自分にとって忘れられない一打となった。
高校時代の樋口選手
樋口選手は高校卒業後、スポーツトレーナーになって地元壱岐市で後進を育てたいと考えていたが、壱岐商業高校の遠征先での日本文理大学のスタッフの目にとまり日本文理大学に進学。そのまま野球を続けることになった。日本文理大学は部員数が280名と日本一を誇るマンモス所帯、ベンチ入り25人枠に入るのは簡単な事ではなかったが、2年生秋からベンチ入りを果たした。本人の自信に繋がる一方で、選手層が厚く代わりは直ぐに出てくる追われる立場。プレッシャーに打ち勝ち大学野球を続けた。
鹿島硬式野球部での自分の今の課題は「チームの勝利の為に、任されたところで確実に結果を出すこと。」2年目を迎える樋口選手の活躍を期待したい。
(記:後援会)