第19号 「一球の怖さ、大切さ」
阿部 達世志 (あべ たつよし) 投手
宮城県出身 東北生活文化大学高校 - 青森大学
宮城県多賀城市出身の阿部選手は野球を始めるまでは全くといっていいほど野球に興味がなく、父親ががテレビで野球観戦をしていてもチャンネルを変えてほしいと思うほど。
阿部少年が小学校でやっていたスポーツは、水泳、ドッジボール。ドッジボールは競技として大会に出場する程しっかり習っていた。水泳での腕の振りや、大きなボールを体でしっかり投げるということが、後にピッチャーとして野球をする体の素地を作っていった。
そんな阿部少年が野球と触れ合ったのは、6年生の終わり頃。親友が野球をやっていて遊びに誘われた。親友とキャッチボールをしていて楽しくなり「野球もおもしろいなぁ」と思い中学校から本格的に始めることにした。
中学生になって地元の硬式シニアチームに入団。小学校からの経験者が殆どの中で、一からのスタートであったが、水泳とドッジボールで培った素地がここで活き、才能が花開く。中学1年生秋からピッチャーで、中学校3年生のチーム卒団試合時には球速139㎞を記録し、様子を見に来ていた高校のスタッフを驚かせた。
シニアチーム監督の薦めもあり、新設間もない東北生活文化大学高校に進学した。専用のグランドもまだ整備されておらず、他の部活と一緒に校庭で練習する日々であった。
記憶に残る試合は3年生の時の夏の甲子園宮城県予選2回戦、対戦相手は東北高校。試合は4-4で終盤までもつれ込んだが、阿部投手は制球が甘くなり打者にフォアボールを出してしまう。このランナーが盗塁、味方の送球の後逸も加わってホームまで帰してしまい4-5で敗戦。自分の投球がきっかけでランナーを出し思わぬ展開を呼ぶ。阿部投手は一球の怖さ、大切さを思い知らされたという。
同じように一球の怖さを思った試合が、その後進学した青森大学4年生の時。秋季北東北リーグ戦。八戸大学を相手に延長12回まで1失点、試合はタイブレークで決着となった。自チームが守り側になった時に、投げた球が甘く入り満塁ホームランで敗戦。またもや自身の投げた一球で試合が決まってしまった。
記憶に残る試合が本人にとっては不本意な試合であろうが、取材時の語り口は熱かった。
「投手はマウンドに立てば、一人一人がその時のエース。負けられないし、点もやらない。社会人野球ではただ球が速ければいいのではない。バッターの思惑を外すテクニックや、制球の良さが当然求められる。2年目に入る今の自分の課題です。」かつて高校の監督に言われた言葉を大切にしている。
「エースとはどんな状況でも負けないピッチャーの事をエースと言う。」
2年目に入る阿部投手の活躍に期待する。
(記:後援会)