2016/02/12
第18号 「子供の頃の猛練習が自分の基礎になっている」
堀越 匠 (ほりこし たくみ) 外野手
東京都出身 浦和学院高校 - 東洋大学
東京都目黒区出身の堀越選手は、小学校1年生の時に硬式野球のクラブチームに入部し野球を始めた。三人兄弟の末っ子で父親も野球好き。「当たり前」のように野球を始めた。友達と遊ぶよりはむしろひたすら野球漬けの日々。兄弟3人、父親とともに夕方6時から晩の9時まで練習に勤しんだ。ティーバッティング、素振り、ランニング、徹底して鍛えられた。この練習は中学校を卒業するまで続き、体力・メンタル共に今の堀越選手を支える基礎を築いたのである。
中学時代の堀越選手
甲子園に出ることを目標に、甲子園出場の常連校、浦和学院高校に進学した。
2006年第88回夏の甲子園に出場。1番バッターとしてリードオフマンの役割を担った。
浦和学院高校卒業後、東洋大学に進学した。自身の記憶に残る試合は、2010年の全日本大学野球選手権決勝。対戦相手は菅野投手(現読売巨人)擁する東海大学。東洋大学も投手藤岡(現千葉ロッテ)、鈴木大地(同)ら有力プレーヤーが揃い対決。試合は5-0で完勝し、日本一の栄冠を手に入れた。
二塁ベースでガッツポーズの堀越選手(大学選手権で)
その後鹿島硬式野球部に入部してからも活躍し、全日本代表にも選出された。全国からそうそうたるメンバーが集う中で共に練習し試合に出場し、本人は楽しくてしかたなっかたという。メンバーのレベルの高いプレーを見てその後の自分の参考にも出来た。
堀越選手の野球人生の中で本人に転機といえる時期がある。大学2年生の時だ。プレーで結果が伴わず堀越選手は初めてベンチ入りを外された。スタンドから応援という本人にとっては挫折に近いものであった。3年生から再びベンチ入りしたものの代打要員。
4年生でレギュラーに戻ることはできたが苦しい時期であったという。それでも挫折から這い上がることができたのは子供の頃の猛特訓で鍛えたメンタルの強さが支えになったのかもしれない。
鹿島硬式野球部でプレーする今は「アグレッシブ」であることを常に心がけている。今の自分に課していることは「何が何でも離脱しないこと。1年間を通じて確実にプレーが出来ること。」2016年の「アグレッシブ」な堀越選手のプレーが楽しみだ。
(記:後援会)