2015/08/10
第2号 【自分の野球の原点 -親父の存在-】
片葺 翔太(かたぶき しょうた) 捕手
兵庫県尼崎市出身 北陽高校 - 八戸大学出身
兵庫県尼崎市育ちの片葺選手。子供の頃の片葺は文字通り「悪ガキ」。
小学校の友達と連れだっては近所を駆け回り、いたずらもかなり度が過ぎていたようだ。
そんな彼が野球を始めたのは、親父さんからの「強い勧め」で入った尼崎ボーイズリーグから。
親父さんは、中学校までの野球経験しかないものの、相当な野球好きで息子をプロ野球選手にしたかったそうだ。
片葺少年は運動はサッカー以外は殆どこなした。そんな息子の運動センス、丈夫な体をさらに伸ばすために野球を始めさせたのだ。
片葺少年に親父から課せられた練習の中でとにかくきつかったメニューが「自宅マンションの階段のダッシュ。」12階マンションの11階に自宅があり、エレベーター使用を禁止。地上と11階自宅の往復を毎日すべてダッシュでやらされた。「かなわんな!」それくらいきつい練習だった。
親父さんに対する反発心はあったものの、逆に厳しい練習をこなすエネルギーに変えていった。反発する心は親父さんに対する熱い思いにいつしか変わり、大学で野球をやる頃には「親父の為にも野球をやる」という想いに変わっていった。
大学時代の同僚と(左端が片葺選手)
野球選手として着実に鍛えられていき、生来持っていた運動センスに磨きがかかる。特に肩は本人の武器になった。遠投は125mを記録、100mが基準というから相当な強肩だ。ポジションが捕手というのも頷ける。
毎年正月に実家に帰省しては親父さんと酒を酌み交わす。話題は自然と野球になるが、親父さんの野球に対する考えに今も納得する事があるという。
片葺選手にとり親父さんの存在は彼の野球の原点なのだ。
(記:後援会)